チェルフィッチュ「ポスト*労苦の終わり」

3/20@STスポット
なんだかんだで初ST、狭いなー!!予想以上の小ささにちょっとびっくりした。
チェルフィッチュは、新進の劇団で、主宰で脚本・演出の岡田利規岸田戯曲賞を受賞。現代詩手帖にもコラムを載せてて、今ダンス界でその劇中の身体性が注目されてる(と思う)。なのでお客さんには某有名ダンス批評家もいました。寝てたけど笑
いやーはじめてみたんだけど、今回のは「ポスト」ってことで前にやった作品にさらに手を加えたものなので、前作とどう変わったかってのがわからない分なんともいえないとこもあるんですが。
結論から言えば、まぁまぁ面白かった、けど、これ何回も見てたら私は飽きちゃうかもしれない。話の筋はすごくシンプルで、登場人物も4人しかいないんだけど、舞台上の役者は5人いるのね。つまりプロットと役者が対応してないの。ナレーションか台詞か、誰役か、いつの話を言ってるのか、結局何が言いたいのか…全部がぐちゃぐちゃ。最終的にはひとつのストーリーができてるんだけど、それまでの起承転結ってのはほとんどなくて、同じようなやりとりが何回も繰り返されたりとかする。で台詞も、すごい大人が嫌いそうな喋り方なの(笑)結局何がいいたいんだよ!って言う言い回し。「だから〜、結局〜、私的にはなんでもいいんだけど〜、でもちょっとおかしくない?って思うっていうか〜、でも別にいいんだけど〜、でも〜、、、」みたいな。。。(違うか?)でも逆にそれがうちらくらいの世代にとってはリアルなんだよね〜、、、私結構あーゆう喋り方してるもん。伝えたいことははっきりしてるんだけどうまく言葉にできなくて、支離滅裂なの。なんか見てて本当に「リアル」じゃんと思ってうわーと思った。これは私だけが思うことなのだろうか。
役者はせりふを言いながらまったく関係なく体を動かしたりする(これがダンス的…といわれる大本かな?)んだけど、それも普段私はやるんだよね。喋りながら意味わからん動きをしてることがままある。だから舞台でのルールだった言語に付随する身体じゃない、「現在の身体」を観る事は、私にとっては異質なものを見るというよりも、リアルな身体を戯曲を通して他者的に観察する行為だった。だから話の筋がたいして複雑じゃない上に何回も同じやりとりをしてるので飽きてしまった。というか見疲れちゃった。
でも多分、こういう戯曲を上演すること自体が、演劇というジャンルにおいてはセンセーショナルなんだと思う。実際見た事無いし。これを作品として完成させた点ですごいなと思う。他の作品も見てみたいです。