わからないものにはわからないなりの面白さが欲しい

昨日、某所で行なわれたダンス公演を招待?で観させてもらうことができました。その公演は芸術文化振興基金助成を受けている事業で、ヨーロッパの振付家+ダンサーと日本人ダンサーが共演しています。
ある程度の公演の情報は一通り把握しているつもりですが、この公演に関しては事前に耳にしたことはほとんどなく、振付家やダンサーもあまり聞き覚えのない方たちでした。

感想からいうと、久しぶりに「つまらないな」とはっきり思える作品だった(笑)
とりあえず雰囲気はヨーロッパっぽい。マギーマランの魅力ないバージョンとでも言おうか。
何を言いたいのか全く伝わらない。なぜその衣装?なぜそこでその小道具を使う?なぜ言葉を発する?事前にパンフとかも見てないしテーマの認識もしなかったからってのもあるのかもしれないが、それにしたってつまらないことにかわりはなかっただろう。
で、観てる間は「なぜつまらないのか」を考えることになるわけだけど、おそらく「よくわからない」からだった(笑)しかし良くわからないがゆえに面白いものもあるわけで、それとの違いはおそらく振り付けや仕草や表情に意外性がない、つまり動きが持つ相対的*1一義性(社会的認識における)をそのままボキャブラリーとして用いてるからだろうと思った。あまりに単純すぎるのだ。例えば男女が抱き合う、たぶんそのシーンは抱き合って愛を確かめ合うことの表象でしかなかったということ。抱き合うというからだの動きと行為の意味性の対応が日常で解釈するレベルと同じであっては、それは演劇になる。だからそこに言葉を排除する理由がない。言葉と同義的な振る舞いとしての機能しかしてない。storytellingのダンス・パフォーマンスならそれでいいけど、今回はもっとコンセプチュアルというか、曖昧で抽象的なテーマで、構成はエゴイスティック。だけどディスコミュニケーションを狙ってるんでもなく、むしろ共感を求めている。おしきせがましい表現の強制に従うほど私は愚かではない。
動きの、身体による新しい地平を拓きたいなら、もっと振り付けにおける行為と動きの差について考慮するべきだと思う。なんで演劇じゃなくてダンスなのかを問いながら動きを紡いでほしい。
コンテンポラリーとかモダンとかカテゴライズすることは必ずしも有効だとは思わないけど、どっちつかずの中途半端なものを、あたかも現代のダンス、という感じでやられてもなぁと思ってしまう。モダンだったのかもしんないけど。いかんせんダンサーのレベルも大して高くなかったため感情移入もできませんでした。

あと、その会場はリノベーションスペースなのでフロアに柱が数本立っているつくりになっているのですが、それを生かすでもなく殺すでもなくそのままにして、アクティングエリアと客席を対面式にして分けてたが、柱が邪魔で見れたもんじゃなかった。青山円形劇場でもやるそうなので、そのままもってきちゃたのかなぁとか思ったけど、あとでチラシみたら演目違うし。こういう特殊なスペースでやるならもっとそこを考慮してやらなくちゃだめだと思う。柱が邪魔で見難い、なんて初歩的ミスじゃん。リノベーションスペースなんだからそこにみあった演出しなきゃソフトにもハードにも悪印象を与えるだけだ。劇場側(もしくは仲介役)がこのスペースに関するデータを事前に十分に与えてなかったのですかね。でも何日も前から小屋入りしてたけど…
まぁ振付家が外国の人だし、政治的(行政的)な国際交流文化事業としての意味合いがでかい、つかそれが殆んどだったんでしょう。多分お客さん殆んど招待だったと思われる。こういう内にこもったことやってるからいつまでたっても舞台芸術が外に開かないんじゃんねー。

ちなみに私の前の席の方、たぶん某売れっ子評論家さん。始まって15分でお眠りなさってました(笑)あと今度青山でやる某若手ダンサーもいました。目だってたなぁ。

これが前売り4000当日4500。高いなー!なんでこう外国がらみは高いかね。しょうがないか。でも助成金もらってるんだし明らかに行政の息かかってるんだからもうちょっとどうにかしなよ、と思ってしまいます。


普段ダンス公演を見ない人がこういう公演を見て「私ダンスわからないから、、、」と困惑気味によく言う(いわれる)けれども、そういわせる作品ていうのはやっぱりそこどまりなんじゃないのかなぁと思います。たしかにいいものがPOPかっていったらそんはことはないと思うけど、ダンスって業界自体が「わからないから」って敬遠されてるように感じます。ほんとはみんな興味あるのにね。だから逆にストリートダンスは若い人に人気があるでしょ。ま、芸能界とかメディアの影響もあると思うけど。
本当にいいものは世代を、人種を、個人を超えて感動を与えるものだと思うなぁ。もしくは先鋭的すぎて人を選んじゃうか(笑)

*1:改めました