デュシャン展

kanon_59872005-02-09


mixi内でかいていた日記&コメント(一部改訂)をうつしました(05.03.03)
行ってきた!
ハマっこなのに足が遠のいててあまり行ってなかった横浜美術館。ランドマークからすぐそこだったのね(子供のときに行ったきりで、すごい遠いイメージがあった)

おもしろかったです。デュシャンに影響を受けたとされるアーティストの作品も並列して展示してあるんだけど、とりあえずデュシャンって面白い(いろんな意味でね)なぁとおもう展示だった。
女装とかしてたんですね。ローズ・セラヴィ。
思ったのは、デュシャンもいきつくところはエロスなのねー、ということ。
「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」(遺作)
とその周辺とかね。
あとやっぱ「階段を降りる裸体No.2」はすごい。
「泉」はやはり便器でした。笑。

そういやカニングハムがモチーフの映像があった。
あとジョンケージって音楽以外にも作品発表してるんですね。

常設が結構豪華でびびった。
憧れのエッシャーみちゃった!エッシャー展行きそびれて悔しかったからうれしかった。
たしか受験勉強のとき小論問題でエッシャーの話が出て、すごい面白い!!と思ってそれからすごい気になる存在。もう一回あの文が読みたいなぁ。
本物は、その構図もすごいけど細かいタッチがすごかった。
あと写真展が良かった!時間なくてちゃんと見れなかったんだけど、マンレイとか有名な写真家ばっかり。
ベルメールの写真もあった。面白い。人形もさることながら、ヌードの女性を縄でしばりつけて肉がすっごい食い込んでる様を撮ったのがあったんだけど、あれとか本当に体への執着を感じる。醜くて美しい。
去年Bunkamuraベルメール展やってましたよね?あれ行こうか迷って、一人で行くの怖気づいていけなかったのだけど(笑)、もっとしっかり作品色々見よう。


横浜はいい街だなぁと今更ながら感慨にふけった。
明日は大さん橋でやる横浜青年会議所の例会というものに行ってきます。
一人で潜入してくるので、行かれる方いましたら声かけてくださいねー。きっと気配を消しつつふらついてます。

                                                                                                                                          • -

2005年02月10日
02:16
E
ベルメールの写真集持ってるよん♪
もう開く度、ほれぼれする。いつか狭い我が家に遊びにおいで。漫画もいっぱいあるよ。あと、自慢のA1サイズのアラーキーの写真集のサンプルもあるぜよ。けっけっけ。

2005年02月10日
03:47
S
デュシャン(1887-1968)は、始まったばかりの近代美術に潜む、危うさにいち早く気づき、底意地の悪い微笑みとともに、勝手に、芸術の葬式をあげました。

デュシャンが察知した「近代芸術に潜む危うさ」とは・・・すなわち・・・個人が個人の考えと探求でもって、ある作品を提示する。では、いったい誰がなんの基準でそれを芸術と判定すれば良いのか?

そもそもはデュシャンも、セザンヌキュビズムの路線に運動(=動き)を導入しようとしていたものでした。そう、静止画(=絵画)に運動を!

第1次大戦中、ニューヨークでマン・レイらと〈ニューヨーク・ダダ〉運動を起こし、パリでは A. ブルトンシュルレアリスム運動に参加。(なかなかの戦略家です)。

かれが確信をもって近代芸術のお葬式をあげつづけることに自分の人生を捧げようとおもったのは、おそらく1917年、<泉>からではないでしょうか。

おりしも、時まさに、MOMAをはじめアメリカの美術館が生まれ、そこでは、印象派以降の芸術史を略奪し、願わくば、芸術史そのものをアメリカ発のものに作り替えようというたくらみが生まれる直前、そしてデュシャンはいわばかれらの守護神になってゆきます。

canon さんがお察しのとおり、デュシャンの精神は、ジョン・ケージ 1912-92 に継承されていますね。(ネオダダ! フルクサス!)そう、ケージは若い頃シェーンベルクに師事しながらも、早々と異なった闘いに身を投じ、笑いと偶然を愛し、演奏者に困難を強いる作曲家として、まったく < 反=アンチ> な人生を生きたわけですが、そんなかれもマース・カニンガムたちには深い友愛をもっていたようです、ぼくはステージを見たことはありませんが・・・。近代芸術を疑い、問いと笑いをぶつけたケージも、肉体だけは疑わなかった? 


2005年02月10日
09:35
W

いいなあ!デュシャンゆきたいです!
横浜ならいけるし、ぜひいってみますねー
インテリアに興味がある最近なのです

2005年02月10日
15:14
canon

最近topの反応おそくないですか?

>E
うきゃー!おうちにいきたいです、ぜひいかせてくださいませ。
ベルメールいいっすよね。なんか見ちゃいけないもの見てる感がいい。

>W
湘南新宿ラインによって横浜はすばらしく近くなりました。ぜひ。

>S
階段を降りる〜って、パリの展覧会かなんかで出品拒否されたらしいですね。それで拠点をNYにうつしたとか。
彼のコメントで、「私は他のアーティストのようになにか表現したくてたまらないわけというわけではない。私の作品は後世に残る物ではないし、私にとって作品をつくることは生活していること・生きていることと同義だ」的な発言があって(うろ覚えの範疇ですが)、その姿勢自体が好きだなと思いました。基本的にそういう芸術家が好きみたいです。
とにかく積極的な意味で形式に重きをおく、方法論的なタイプ。そこに実験性を伴ったり、転じて皮肉になったりしてしまうもの。
だからモダニズムにとても興味があるし、強く惹かれます。
ただ最近よくふと思うのが、ダンス界のポストモダンってカニングハムくらいなのか(あとジャドソン教会派?)ってことと、彼はベースがやはり究極の方法論によってると思うんですが、自身のダンス観的なところではどうなのかなーということですね。
彼の時代にパフォーマンスっていう形式が生まれたらしいんですが、それが今じゃダンスとパフォーマンスってある意味ほとんど同義になってるし。それはパフォーマンスというところの範囲が広がりすぎたということなんでしょうけど。
カニングハムのすごさってモダニズムの文脈でしかはかれないものなのかなー、とか考えちゃいます。
ちなみに私の中ではカニングハムとケージはセットです…
あとグレアムとイサム・ノグチ

でも方法論の相容れないところの精神的・身体的感動には、有無を言わせない素晴らしさがあると思うし、やはりそれは生命の源でもあるし、いってしまえばゴールでもありますからねぇ。
そういうところで、やっぱりエロスなんだなという結論にいつもたどりついてしまいます。笑 安易。

2005年02月10日
21:53
S

canon さんの言葉を読んでいると、ダンス知らずのぼくも、すごくダンスを見たくなってきます、canonさんの言葉の熱を感じて。

ダンスに限らずどのジャンルでも、ポストモダンと称される表現には、3つくらい異なった出自が混在しているようですね。

1)モダニズムをその中心から突き破り、その外へ出てしまった表現
2)モダニズムに拠って抑圧されていたものの復権
3)ジャンル間の横断・結合・そして突拍子もない関係の取り結びのなかから不思議なものを生み育てること

canon さん、一般的な表現でごめんなさい。きょう神保町で三浦雅士の『身体の零度 何が近代を成立させたか』講談社 を買い求めました。これから読みます!

あらためておもうことは、モダニズムって、各ジャンルを共通に論じることのできる枠組みですね。(どこか進化論の系図をおもわせます。)

2005年02月10日
23:35
canon

そうなんですね! ポストモダンってダンス以外では詳しく知らないなー。。勉強しよ。
そもそもモダニズムポストモダンの違いもさらっと説明できるほどわかってないんで、もっと普遍的なこと学ばなきゃですね。やっぱり絵画史からかなぁ。

身体の零度、感想教えてくださいね〜!楽しみにしています。
今、吉本ばななの「TUGUMI」をゆっくり読んでいます。とてもやさしい気持ちになれます。