勅使河原三郎+karas (ねたばれ注意!)

mixi内でかいていた日記&コメント(一部改訂)をうつしました(05.03.03)
新国立劇場にて「風花」観賞。初テッシーに期待大。
勅使河原三郎さんは日本のコンテンポラリーダンサー(彼はそう言われるのを嫌うらしいが。)の第一人者です。要は大物。
だからか客層は比較的高年齢層+外国の方。ダンス畑のお偉いさんが一同に会した感じか?外国のメディアも取材に来てた。

そして開演。まず舞台装置におどろく。
だって、REのインスタレーションにそっくりなんだもん!!sal vanilla(お手伝いしてるダンスカンパニー)の忘年会で見たやつ。
舞台の前方、後方、上手側に銀の棒(?)が連なったものが上からぶらさがっている。つまり棒で舞台上にさらに空間ができている状態。中の上空にも何本か舞台を縦に横切る形で棒がセッティングされていた。
そこに正面から何色かの光をあてることで、空間の色が変わったり、照明によって空間がさらに仕切られたり。
メディアをイメージしてつくられた装置かなぁと。液晶のイメージ。

ダンサーはそこの空間の中や、たまに出たり入ったり横切ったりして踊る。1シーンが結構短くてシンプルなので、小気味良くみれたかなぁとおもう。前半は衣装がシーンごとに色がちがったのもよかった。
たびたび、明らかに何かを‘象徴’しているであろうダンサーが突如出てきたりする。全体に何かを表しているっぽい雰囲気がする。でもそれ以上はつかめない(笑)
風花ってのは舞い踊る小雪のイメージだそうで。その辺の空気感を表現していると思しきところはあった。あとは身体性の表象。現代、世界、戦争なんてワードを連想してみた。
激しいシーンと優しいシーンがつながってるとことかは精神世界かな〜とか思った。
全体的に、なんとなく…っていう感じだった。断定もできないけどなんかあるにおいがする…みたいな。。。

それにしても随所であまりにsalを彷彿とさせ、もはや冷静に見ることができなくなり(苦笑)、あれこれちがうことを考えてしまった。。。中盤くらいでこりゃー私だめだわー、、とか思ってしまった。男性ダンサー6人が上半身裸、下は黒タイツ(スパッツ)で上半身メインで踊るとこなんてもはや完全にsalだった。でもあの客の中でsalのことを思い出していたのはきっと私だけだと思う(笑)
舞台の空間の使い方や、舞台装置、照明、音すべてが去年韓国で見たsalの「tatoooo」だった。そんでREだよ、もうだめだ(苦笑)

そんななかでも印象に残ったのは、ダンサーがひとしきり順々に踊ったあと、何十秒?か全員座って静止してるシーン。音はノイズだったかな。そこが不思議と飽きずに見れたのが面白かったなー。なんも動いてるものないんだけど、空間が動いてる感じがしたんだな。それまでのダンスによって空間の空気に生命感?がやどった感じ。音がすごい質が良くて、それが相乗効果になったんだと思う。

あとダンスを観るときって、自分もダンサーと同じ身体感覚を持とうと音を聴き、イメージで空間を意識すると、自然とダンサーと一体化できる感じがするんですね。気持ちよさ。
でも、観客としてあまりにも客観的に距離をおいて観ちゃうと、あぁ踊ってるねー、みたいな感覚になってくる。
この二者間を意識的にいったりきたりしてみたのですが、それが最後まで不明瞭だった。なんなんだろう、あの観るときの意識の違いは。もちろん前者の方が良い鑑賞の姿勢だと思うんですが、それは意識的にしなくとも自然と没入できるダンスこそ心を打つのであって。うーん。
ダンスやってる人とやってない人、もしくは見慣れている人と見慣れていない人。この差がダンスを享受するときに非常に影響をおよぼす気がするなぁ。

早稲田の知り合いが4人(+その友達1人)がいたので、終演後すぐにどうなの?って話になったのだけど、正直うちらの中では評判はいまいちでした。これは我々の鑑識眼が低いのか、作品の問題か。もしや勅使河原自体が苦手なのか?云々。。。
てっしーはもう「すごい」っていう先入観があるから、期待しすぎたのが悪いのか?それもよくわからなかった。私にいたってはsalだし…(笑)

全体的に、う〜ん…て感じだった。ついてないなーなんて。
今度ギガさん(salのボス)にあったら色々話してみよう。


明日は上村なおかのソロ公演を見て、ku-kiにいってきます。ku-kiでお会いする皆様、楽しみませう♪