キム・舞台・横浜

今日はBankart1929にて伊藤キム+輝く未来公演「壁の花、旅に出る」を見て来ました。

「パーティーをします。食べたり飲んだり喋ったりダンスを見たり見なかったり。振付けと即興と鑑賞が混在した空間。」
といううたい文句の新作公演です。
第一部は立食パーティー形式のパフォーマンス、20分の休憩を挟んで、観客が三方から取り囲み、最後は観客参加となるショーの全二部構成。

第一部は、劇場遊園(おととしの公演)の一部を思い出した。
会場に入ると、窓側のいくつかの柱の前でダンサーがオブジェのようにポーズしている。始まりらしい始まりは無く、気づいたらダンサーが増えていて、そのうち客の合間を縫って縦横無尽に踊りだす。客にちょっかいを出したりもする。
20分のパフォーマンスが一通り終わって全員がはけると、入り口の上部に位置する、サイドがガラス張りになっている階段部分で事前に用意されていた衣装に着替えだす。もちろん下着姿丸見え。ダンサーはリラックスした様子で談話などしていたので、完全に裏を見せちゃってる状態。これはなかなか面白いと思った。
フードブースが取り除かれ、ホールの真ん中がフロアとして空くと、おもむろに着替え終わったダンサーが登場。
基本は真ん中なんだけど、無理やり客の間をこじ開けたり、ここでも客いじりしたりするシーンあり。ぶつかられて痛かった(笑)
ニゾン(群舞)と即興を混ぜたいくつかのシーン構成。若干散乱した印象だった。音はクラシックだったり、世阿弥の文書や聖書の朗読文など。
最後にキムさんが飛び入りっぽく参加し、他ダンサーが一人ずつ客を中によびこむ。キムさんと客のかけあい、ここでは機転をきかせたお客さんとそれを遊ぶキムさんが面白かった。ここが一番良いシーンだったと思います。結構お客さんに助けられた感あり。

この作品はBankartとの共同制作だったようなので、キムさん自身がやりたいことやってますっていうより、ここ使ってなんかしよう、って感じが強かったように思う。
第一部はフードがある以外は劇場遊園と同じ。遊園は音が時報だったからなんかある程度の緊迫感的なものがあったが、今回は無音(たしか…)だったので、結構予想範疇でそこまで興味出ず。。
第二部は、ダンサーどうしの関係性が近いせいもあってダイレクトに伝わってきたから、引き込まれる度はなかなかあったかも。dancer touch you,you touch dancer という言葉を思い出した。
*(訂正)いや、思い返したらそれはダンサー個人の動きが良かったのであって、作品として圧倒的に迫ってくるとかそういうんではなかった。

きっと皆さん結構踊れる人なんだろーなー、とか思いつつ、ふーむと鑑賞。後半から笑いの度合いが高くなってきて、これまで見てきた作品等を思い返しながら、なんとなくキムさんの作風を一人で把握した気になった。笑

最後のキムさんダンスシーンで最後を飾ったあたり、やっぱりなというか、それがなんか印象的な出来事ではありましたね。
コンドルズでもそうなんだけど、結局最後に主宰=看板ダンサーが出てきて、あわよくばソロなんかやっちゃったりして、うまいこともってってハイ終わり、って感じなのよ。見に来てる側も淡い期待(笑)は抱いて行ってるんだけど、やっぱりそこはダンサー(振付)側も保険をかけちゃってるというかね。最後にこれ出せば大丈夫だろう的な。
キムさんは遊び上手なんだろうなーと思う。今回は客も良かったから運的なものもあったんだろうけど。別に技術的にすごいことやってるわけじゃないけど、一番面白かったし、一番強いシーンだった。他のダンサーは決して下手じゃない(むしろ上手いはず)んだけど、「伊藤キム」を超えられないし超えようとしないんだろうな、と。だからやっぱりダンサーとして一人立ちするには、白井やら黒田みたいに自分で作っていかなければならない。
ダンサーの中にはこの前の山田うんさんの「ワン◆ピース」に出てた人もいました。この前とは印象違った。(別にそれは良くも悪くもなく。)当たり前だけど振付と作品によってこうも受ける印象が異なるのだなぁ。と。

あまりにやってることが「伊藤キム+輝く未来」だったので(笑)特にたいした感慨はないです。可もなく不可もなく。ただ観客を取り込むことに関しては、やはりそこで生まれる偶然の出来事や流れっていう予測できない事態を見せることが面白いものになりえる事を実感しました。


自分が「パフォーマンス空間とギャラリー(カフェ)空間を融合させて主客の境界線を無くす」っていうコンセプトの元にひとつプロジェクトを終えたっていう経験が、どの程度自分に影響を及ぼしているのかわからないが、自分の中の空間に対する価値観というか問題意識がまた変化したように思う。
今まではとにかく見る/見られるの境を意識してそればかりに固執していたけど、とどのつまり「対象として見る」行為自体が不自然なことであって、逆にそれが作品を作品たらしめているわけです。舞台や今日に言うパフォーマンスを「見に行く」というのは非日常の次元のことで、それを日常のレベルまでもっていくことは、それらを発展させているというより還元させているというほうが本質的には近く、つまるところそれは「日常」であり「生活」そのものになってしまうんでしょうね。
だから、舞台芸術っていう観点から言うなら、劇場や舞台で行われている“架空の出来事”の方がわかりやすいし面白いと感じるんだよね。そして見に行くっていう行為自体にももう快感を感じちゃってんだよね、たぶん。

なんだかデュシャンみたい。

というわけで(無理やり)今横浜美術館デュシャン展やっているので、春休み中に行こうと思っています。
それにしてもBankart1929って芸大のものになったんじゃなかったっけ?それって馬車道のもう一つの方の話なのかな?新しくできたBankartNYKっていうのは、おそらくポーターズ行くときに右手に見える倉庫のことだと思ってるんですが、確認できず。近いうちに遊びに行けたらなぁと思ってます。(hworksさんメールありがとうございます。返せなくてすみません。。)

とにもかくにも、横浜はとってもよい街なので大好きです!

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2005年01月17日
00:31


 キムさんは遊び上手だよね。WS受けた時も、キムさんと誰かが即興で踊ると、とても面白いものになるんだ。いやぁ。今日の公演をみて、そんなWSを思い出しました。舞台で照明を浴びて踊ってるよりも、そんな近い感じがしました。笑ってたし。

デュシャン展は、私も暇があったら見にいきたいと思ってます。横浜遠いけど。よこはまブギウギ―。



2005年01月17日
00:37


こんどコンテンポラリ、ていうか?キムダンス?について、おしえて

2005年01月17日
04:09


僕も今日行ってきましたよ〜。
また別でちゃんと観たいな〜っと思いました。(笑)
BankART1929で芸大のモノになったのは、馬車道ホールと呼ばれていた方で、今回の会場に使われていた方は残っています。馬車道ホールの代わりにNYKという元郵船の倉庫が提供され、引っ越したようです。今日ついでに見てきたので、僕のblogに一部写真も載せてみました。

2005年01月17日
07:23


横浜いいなぁ。中華街行きたいなぁ。
映画でも舞台でも「つかの間の夢を見たい」なぁ、個人的に。
時間忘れるくらい没頭できるよーなやつ。

2005年01月17日
15:12
canon

コメントがいっぱい^^ ありがとうございます。
>M
うん、ほんとキムさんのシーンでもった、って感じだったよね。絶対ちゃんとつくりこんでないんだと思う。。。

>A
うん、わたしはキムさん個人に関してはそこまで詳しくないのだけど(実際にキムさんと踊っていた知り合いが結構いるのです)、かる〜くなら話せるとおもう。w ていうか最近あってないよね!?

>Mさん
お見かけしなかったてことは、夜のにいかれたのでしょうか。
昼は選ばれた観客が面白い人たちだったので、それでかなりもった、という印象でした。同じ趣向なら「劇場遊園」のほうが全然良かったですねー。
キムさんは、6月に白井剛と「禁色」(!!)をやるので、それは絶対にチェックだな、と思ってます。せたパブで5日間くらいやるらしく、プロデューサーの顔が浮かびました笑。

>Iさん
横浜でなんかしましょーよー、Bankartの新しいとことか!
「つかの間の夢」ね。うん、わかります。結局見にいってるんだから、その世界を十分に味わいたいですよね。パフォーマンスと舞台芸術って、そこで明確に線引きされますよね。最近劇場ってやっぱいいよなぁと思います。



2005年01月23日
20:45


こんにちは、はじめまして。Cと申します。

「壁花」に出演していました。
感想を読ませていただきました。
出演ダンサーとしては、キムソロでなんとか終われる
作品だったと、全く持って思っておらず、
私としては、最後のカーテンコールに出るのが
本当に厳しかった。

結局「壁花」はキムさんの作品なので、
最終的に彼のしたいようにするべきと思いますし
ダンサー達が実際それに対し、
胡坐をかく事無く、今までやって来たと思っていました。
が。
「壁花」が出演者にとって
かなり消化不良の作品であった事は事実です。
もっと「キム氏と戦うべきだった」と反省点は山積みです。


キム氏を超えたいと思っていないのでは?
という意見に関して
私としては、
「キム氏の存在=自分のダンスに、関係無い」
と思っています。
というのは、キム氏や特定の人を意識しいると
オリジナル各個人の踊りは、絶対生まれないと感じるので。
だから、「超えたい」「超えられない」
という事が、問題では無いと。

振り付けをしたい人は振付家に、
踊りを掘り下げてダンサーに徹したい人は、ダンサーに。
そのカテゴリーは別にどうでも良く、
自分の表現をしたいと思う限り、足掻いていれば。

なので、多分皆、
キム氏をそんなに意識していないと思いますよ。
もっと自立してる感じかな。

他者から観て、キムさんに存在感があるというのは
其々が決めることですから。
精進します。

今後も、他者の作品に出演する際
決して、お茶を濁す事無く行きたいと思っています。

これからも率直な感想をお願いします。

初めてなのに、長々とすみませんでした。
そして、観に来ていただいて有難うございました。
ではでは。

2005年01月23日
23:18
canon

>Cさん
はじめまして。何回か、足跡つけさせていただいた(?)と思います。
公演お疲れ様でした。お怪我とかなさったんではないですか?とてもハードだったそうで。。。
そしてわざわざコメントありがとうございます。
公開とはしていながらもこうやって直接面識のない方に読まれているという意識が薄いので、いい加減なこといってしまっているかもしれません。。 もし気分を害されていたらすみません。
ちなみにあのダンサーさんの中では、Cさんはどの方だったのでしょうか?気になります。。

この感想は結構自分のいいようにしかかけてない所があって、細かく注釈していこうと思うときりがないのですが、
まず、あの作品に関しては、キムさんと他のダンサーが完全に別の立場にあったように思いました。
キムさんは振付・演出に徹したかったのか、それともダンサーの一員だったのか?それが微妙すぎて、最後だけ出て来られちゃうと、ずるいというか後味悪いというか。。
最後に「伊藤キム」をもってこられると、それより前のシーンが「キム抜きシーン」っていう印象になっちゃうんですよね。
これって見てる側の意識の問題なのかもしれないですけど。でもそのシステムって結構なんにおいても逃れられないものだと思う。ちなみにそういうのは存在感の問題じゃないと思います。
それまでの輝く未来でのシーンは、決して悪くは無かったとは思うんです。観てる最中はそれなりに楽しみました。
最初のにもかきましたが、ダンサー個人のスキルはすごい高いじゃないですか。
みなさんそれぞれに、キムさんからの振付を自分なりに解釈・表現なさってるのは伝わってきたんです。
でも、観てる側からすると「伊藤キムの振付(演出)をこなすカンパニーダンサー」っていう枠からはずしてみることはそうしないと思うんですね。
だから、個人がそれぞれのダンスを展開してても、それが伊藤キムの狙った範囲のもの(しかも今回は最初から即興と言ってしまっていたし)であるなら、
「キムダンス」として消化してしまいやすいと思うんです。それって振付家としてあまりに有名だからこその弊害なのかもしれないですが。
つまり何がいいたいかというと、絶対的には優れているダンサーの集まりでも、作品構成員としての参加であるなら、作品の要素としてまず観るということです。
だから今回の作品では、作品の要素としてみると、キムソロがほとんどもってっちゃった、って感じになっちゃったと思うんですよね。最後だったし。
他のシーンに比べてインパクトがあった。それに対して他のシーンは「輝く未来」が「伊藤キム」の作品を演じている、という状態になってしまったかと。
一部に関してはそれまでの作品で見慣れてしまった感があったし、二部はひとつひとつはよくても、構成が洗練されきれてなかった感があったので、全体として曖昧な感じがしました。
最後以外に笑いをとる部分が少なすぎたのも要因かと。結局面白いものって印象に残りやすいと思うので。

なんか、書いててまとまりなくなってきちゃいましたが… 一言で言うと、今回のは作品全体としての操縦不能部分が露呈しちゃった感じですかね。。
動きや流れも見慣れちゃってた感じがしました。自分がキムさんに慣れちゃったからかもしれませんが。
振付や演出というより、構成がよくなかったんだと思います。つくる(考える)時間が足りなかったのかな〜とか勝手に思ってしまいました。

キムさんを越える、越えないっていうのは、あまり適切な表現ではなかったかもしれません。すみません。
つまり「伊藤キム+輝く未来」としてしか観れなかった、ってことです。そういう合意のもとにやってるなら、それはそれで良いと思うのですが。個人的に秀でるものは感じられたとしても、作品に悪い意味で調和しすぎていたのかなぁ。
それって振付する・されるの関係において一番問題になることなんでしょうねぇ…。難しい。
いい振付って、ダンサーを活かすふりであるべきと思うので、今回のはそういう意味ではあまり魅力的なものではなかったかもしれません。
ああいった作品形態であるなら、個性は殺すのではなく活かすべきだと思います。今回は「即興」というキーワードが逆に個性を見出させづらくしていたきがします。

なんかおなじことをぐだぐだかいてる気がします。すみません。
とにかく、今回の作品に関しては、ダンサーがどうこうというより構成の問題だったと思います。あと、発想も若干お決まり化してきている気がします。
キムさんのことは2年前くらいに知ったので、あまり大きいこと言えませんが、すばらしいダンサーであり振付家だと思います。
キムさんのところからたくさんの素晴らしい振付家が誕生していることからも、その影響力は多大なんだろうなぁと勝手に思っています。
Cさんも、ダンサーさんとして、そして作り手さんとして、ますますのご発展をお祈り申し上げます。がんばってください。
もし何か公演がありましたらお気軽に声かけてくださいね。
それでは、稚拙ながらレスしてみました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

2005年01月24日
00:44


こんばんは、また来ました。Cです。

嗚呼、全く反論無しですよ。
というか、ほぼ全てに同意です。

出演者が表立ってこんなこと言っていいか?
と 思いますが。

今回「即興」が一つのキーワードになっていますが
ダンサーにはその時間が殆ど取られず、
付随する「沢山の制約」があり非常に困難でした。
実力不足です、、。

以前、よくアダム・ベンジャミンさん
(元英CANDOCOの芸術監督だった方)と
インプロの舞台をしていました。
彼とは
「言いたいことが山ほど出て来る、
まっさらの身体」が現れるのに
今回の私は「貝に徹する」という間逆の身体しか
出て来なかった。

何時から守りに入ったのか?
自分に聞きたい。

それから、
作品創りに時間が足りなかったのかな?と
悟られてしまう事。

「キムさーん、聞いてますか〜。わかってますか〜。」
です。


今回、丁寧なレスをして頂き
本当に感謝しております。有難うございました。

これから、より精進します!!

追伸:私はショートストレートの
ボブ、赤のロンTにスカートパンツを
履いていたモノです。
未来には、2001年より参加しています。

2005年01月24日
00:40
canon

いえいえ。またレスしていただいてありがとうございます。
ショートボブの方ですね〜!わかりました。きれいで背が高くて目立つなって思ってました!
もしまたお見かけすることがあったらお声かけさせていただきますね〜。

先ほどCさんの日記読ませていただきました。
で、Aさんの日記見ました。
やっぱり作品って人によってこうも印象がちがうんだな、と再認識しました。他にもどこかで褒めている人のコメントを見たので、一概に「だめな作品」ではなかったんだと思います。もちろん私も全面的に否定するほど悪いとは思いませんでしたし。

ちょくちょくコンテンポラリーダンスを見たり勉強するようになって、見る側としてのステレオタイプにはまってきている気がするんです。
それは本当怖いことですよね。どうすればいつまでも自分の感性に素直でいられるのかなぁ、、、と思います。