ラボ20#18 Aプロ

キュレーター:岡田利規チェルフィッチュ
出演:①高市知美 ②神村恵 ③三枝はな ④岩崎一恵 ⑤原田香織

全員女性のソロ。
全体を通して思ったのは、結構全部においが似てるものだったように思うんですが、

A:一次的な「非日常」タイプ “作為”
見られることを(無意識的に)前提にしていて、身体を媒体に非日常の動きで構成されてるもの

B:二次的な『「非」日常』タイプ “超越”
自分の身体と対峙して、ある事件下で現れる身体を舞台上で実験的に上演しているもの

の2タイプあるんじゃないかなーと思った。あくまで憶測というか決めつけなんだけど笑
今回のでいうと、タイプAが①・③、Bが②・⑤、④はどっちの要素も孕んでいるかなと思う。


①は最初だったからってのもあるだろうけど、もう少しとっかかりがほしかった。でも仰向けでのた打ち回るシーンはねずみ花火みたいで面白かった。
③を見てた時点で②とのあからさまな差異を感じてなんだろうと思ってるうちに上記の発想にいたったんですが、③はとにかく「作品」て感じで、即興なのかもしれないけどなんかこう『作られてる』動きやポーズの連続で構成されてるように思った。踊れる人だなって感じたし。だからスリルを体験させるというよりも、作品のコンセプトを踊りという手段で見せてるというか。でもこの方は普段コンタクトインプロをやってる方なので、実際このように感じたのは私だけかもしれない。

で②の神村さんですが(彼女は数回見たことがあります)、前半は身体と戯れてた(ように見えた)。身体のルールを実際に見せる、みたいな。で中盤〜後半に照明の点滅とかで演出効果を入れてた。動きは小さいネタ積み重ね型(?)。全体の意味性で初めて踊りとして完成されるものというか。
パンフの文章いわく
「音とか光とか重力とか、又は空間それ自体が刻々と入ってきては私を躍らせる」
というコンセプトの端緒を見せてるのかな〜とも思ったんだけど、ちょっと不完全燃焼な部分もあった気がしました。最後はけてからの照明操作が特徴的なんだけれど。
要は前半と後半でちょっとやってることに対する印象が違ったので、まとめた感想は出ないのですけども、③と対比して考えると奥深いものがあるような。

で④は、ちょっとだけ見た目のチグハグさみたいなのがあって、笑いを喚起させる要素があったと思う。最初は③と同じ感じに思えたんだけども、音楽の使い方が他のより印象的だったので、ときどきはっとする場面があった。特に最後の壁にぶつかってころぶ、を繰り返すシーン。

⑤だけは椅子とワインという小道具を使ってて、最初椅子に座っててだんだん身体の動きが大きくなってきて、いつしか音に合って・・・という流れ(足踏み→ヘドバン みたいな。)なんですけど、一番見てて気持ちよかったのはここだったかなー。私単純・・・
でもヘドバンはダンスとして一番原始的なものなんではないかと思います。
彼女とは個人的にお付き合いがあるので、創作のスタイルも多少は話に聞いてるっていう点もあるんだけども、5人の中では一番スマートかつセンスある作品を作った人だと思う。見てて安心できた。
椅子のシーンのあとは、椅子の上でワインを飲んで→こぼすという流れだったけども、ここではワインを飲むという行為自体が結構印象的で、結構飲むから(ジュースなんだろうか?)「身体熱いのかな」とか思えて、その時点ですごい身体のスリルを体験させられてるなと思った。椅子動かすから倒れそうなのもスリルだったし(笑)
あと自分にこぼすという展開も予想範疇であるけれどもやっぱやられると相応のインパクトがあるので、それは大技を決めるのと同じ快感を感じる。
で最後に椅子にワイングラスを置いて下をくぐるんですが、このシーンは「舞台表現」であって、身体に特化してるものではないのかもしれないけど、これも効果的だったと思う。


今ここまで書いてて、⑤は一見タイプBじゃないか?とも思えるんだけど、でもやはり見てるときに「見てる私自身」がダンサーの身体に没入していて、共通体験としての感覚を喚起されてる面があると思う。②も、私の身体もこう動くんだよな、あぁそういったらそう転ぶよね、という展開が自分の視野から見えるというか。
その点①③④は基本的にそれが無い。目の前のダンサーを観てるのであって体験ではない。

フィジカルシアター系のものをまともに見たことがないんで、それと比較するとどうなのかとかはよくわかんないんですけども、とりあえず観てて私の中に入ってくる感覚(の原因)が2タイプに分かれるんじゃないかなー、というのが今回の発見です。正体はよくわかりませんが。