パフォーマンスってなんですか

kanon_59872005-02-13



mixi内でかいていた日記&コメント(一部改訂)をうつしました(05.03.03)


この土日は、パフォーマンスグループ“グラインダーマン”のワークショップに顔出してきました。
http://grinder-man.com/index.html
http://grinder-man.com/BR2005/workshop/theme.html

やっとBankartNYKに行けたよ。わかりにくいところにあるのねぇ。
今年はいろいろここに出没する機会が増えそう、ってか増やしたい。ひとり横浜文化振興活動を開始するぞ。

「パフォーマンスってなんですか?」
この宣伝文句、素晴らしいの一言に尽きる。

グラインダーマンの特徴の一つとして、立方体の「ギア」をかぶって動くんだけど、それによって生まれる身体のありようというか、制限下での「見せる身体」ていうのは簡単な仕組みではあるんだけど面白いっすね。
あと、なにか作品があったら、やっぱりいろんな解釈があるし、いろんな詮索しちゃうね。当たり前のことなんだけど、それを肯定する現場って簡単につくれるようでつくれない気がします。だからいろんな人がワークショップするのでしょう。

2日間(まぁ2日目は夕方前から行ったんだけど)見て、グラインダーマンのメンバーが言ったり、みんなでやったりしてるもの見て思ったことは

パフォーマンスってやっぱりパフォーマンスじゃん

ということ。
結局「見せること」なのだ、パフォーマンスとは。
パフォーマンス哲学をしっかり持っている姿勢が見えて素敵だなと素直に思いました。潔さがかっこいいなーと。

最後の作品発表のあとに感想や質問をいいあう時間で、私も感想を言ったんだけど、このようなことを言ったらその後の酒の席でそれが議題になってちょっと大変だった。。ディベートになると途端に自分の論拠の曖昧さが露呈されてしまう(笑)きっと反論のうまい人は頭の良い人だ。

でも、色々な人の言うことややることを見て聞いて、お話しすることはとても楽しいこと。

だから、皆さん、お酒の席に誘ってください。たのしい酒が飲める女性になりたい。

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2005年02月14日
11:05


パフォーマンスは見せること、って原点でいいですね
普段の日常もパフォーマンスに思えるのは
私が他人の目をおそれる輩やからですかね?笑

たのしいお酒のみましょーよー!
ちなみに18に一年飲みがあります。ちなみに。

2005年02月14日
11:31


グラインダーマンって昔『たけしの誰でもピカソ』に出てたような気がするんだけど、違う?俺はアレにでてるスメリーって人が好きだった。白塗りしてマイケルのダンスを踊るの。たしかBGMは童謡。
そういう場で意見を言える度胸は羨ましいです。問題意識を持ってそのWS(使えた)に臨んで、そこでしっかり答え見つけてるんだもんね。響いてる証拠。
俺は反論の事とか意識しちゃって発言できないんだよねー。良くない。あと言葉にするのが凄く下手というか何かを鑑賞しながらそういう作業が出来ないから、何も言えない。昔は言葉にしなくていーじゃんって思ってたんだけど、最近ダメかもって思いだした。
とりあえず俺はダンスの事あんまり考えてないから、パフォーマンスは見せる事っつぅのは当たり前ジャン!!としか思えないなぁ。それまではどう感じてたの?

2005年02月14日
12:56
canon

>W
私も普段の日常もパフォーマンスじゃね?から、あ、だめだ、やっぱちがう!ってとこに行き着いたのです。見せることには責任が伴うから。
18日か、、、誘ってんの?誘ってるよね?(笑)

>T
そうそう、それです。誰ピカって結構影響力あるんだなぁと思ったよ。ちなみにスメリー昨日知りました(笑)グラと一緒にイベントやってたみたい。
意見というか、感想聞かれて言ったら、それがたまたまメンバーの意図にひっかっかってたらしくて。でも多分言い負かされてた。。
言葉にする作業は必要だと思うな、自分の思ったとおりに伝えたいなら。伝えたいものを直で言葉にしなくても、その意志は言葉にしなければ伝わらないものだから。まぁ、そのために「メディア」があるわけですが。この仲介者の役割はでかい。
パフォーマンス。パフォーマーにとっての見せるものってなんでしょう?「見せ物」であることへの意識、そして演者としての自覚。この辺が今曖昧になりすぎていて、「パフォーマンスってなんですか?」が生れたのではないかなと。グラはすごく見せることを意識していてね、やはり「見せること」をやっていたのね。それって当たり前なようで、結構見落としがちというか、演劇なんかでよく言うマスターベーション状態になりがちなんですよ。だからやっぱり大きな意味でフィクションでなければパフォーマンスにはならないと思うんですよね。ダンスで言うならピナがリアルを舞台に持ち込んだ人だったとしたら、きっともう次の流れに入ってきているのだと思う。実際、ピナは過去の人という声も出てきているわけで。(でももはや熱狂的ファンが一杯いるから商業としてはいまだ健在。)

つうことで、レニバッソいきます?私行くと思いますよん。

2005年02月14日
13:24


俺たぶんね、普段の生活もパフォーマンスとして意識してるかも。自意識過剰だから。ストリートダンス出身だから明らかにパフォーマンス!っていう動きが俺の中のパフォーマンスなんだけど、普段の生活ではそういう動きが出来ないからなんつーの、すっごい普通に歩く事に対して違和感を覚える事がある。右手右足が同時に出ちゃってるようなズレ。見せ物じゃねぇんだ!見るな!っていう感じ?誰も見てないのに笑
というわけで俺・・・フィクション?現実を、一つクッションを置いて(ある意味で)フィクションとして捉えることが多いから、俺が現実に関わる時も一つクッション置いてフィクション的に関わろうとするのかな?現実がノンフィクションだってことをまともに信じたら今頃俺はココにいないはず。

言語化の作業

言葉にしちゃうとわかりにくくなることってあるじゃん?百聞は一見にしかず的なさ。表現の人は特にそういう非論理的なところ、感覚でコミュニケーションすればいいんじゃねぇかなーって思ってた。言葉ほど厳密じゃないから誤解されることも多いだろうけどね。明確に伝えたい事がある人はこれじゃ満足できないかな?でもそれなら文章書く人になれよって思ってしまう。俺はそれくらいの曖昧さが気持ちいいかな。すっごいホワホワした柔らかい玉を投げ合う感じ。ほら、言葉にするとわけわからん。


レニバッソの題目はなんでしょう?去年見たやつならもういいかなーとか思ってしまったり。お金ないし。ニブロールの方が見たいかも。

2005年02月14日
16:30
canon

じゃーさ、Tさんって人間の時間の中にはノンフィクションの時間はないの?というかすべてフィクションだと思ってる(思いたい)ってこと?
この前そんな話Sさんともしたわ。それって、言葉で言えば身体の不在、とか自己と身体の乖離、ってことのなのかなぁと思うのだけど。
ここでは自己と身体については詳しくは言及しません(そんなによくわかってないし)。多分私が話題にしているのはもっとパフォーマンス一般に対する普遍的な話で、社会における個人の身体性とその画一化もしくは差異っていう問題はまた別なところな気がします。

とりあえず、本来パフォーマンスってのは、パフォーマンスでなければならないという前提がまずあるはずで。それが曖昧なんですよきっと今のパフォーマンスシーンって。リアルって言葉が舞台の自由を拡大させすぎた。

>ストリートダンス出身だから明らかにパフォーマンス!っていう動きが俺の中のパフォーマンス

その前提を崩す動きがポストモダン以降あって、さらにそこから発展したパフォーマンス観の再構築が今必要なのだと私は思うんです。

「パフォーマンス」って銘打って観客が存在した時点で、否が応でも「見せ物」なんですよ。そこを崩しちゃったら、最初は面白くても根本的にはじゃあ何で見せてんの、ってことになるじゃん。だからやっぱ日常の動きをパフォーマンスでくくっちゃったら、元も子もなくなってしまう。デュシャンと同じで、後世には残らない、観念的なものでしかない。


言語化の作業
芸術は非言語である、それは自明のことなんですよ。でもそこから一歩踏み出して、言語による内容の顕在化は可能だと思う。そのアプローチがなくなったら文化なんて壊滅していきますよ。結局万人に有効な尺度として言語は生れたのだから(その言語に対する把握は絶対的なところで自己判断に基づいているとはいえ)
言語化できないものを表現してるんだよー、ってところから一歩抜け出して、言葉にしてみたら、新しい世界が開けるのではないかな。それが批評の面白さですよね。ま、これはやりたい人がやればいいことだと思うんだけど。でも表現者もそこに胡座かいてたら最終的な文化の発展には貢献できないよね。

レニバッソは、たしか2年半ぶりの新作本公演だって。前とにてるかとかはわっかんないなぁ。舞台って日によってどうとも違うから。このまえまでHPみれなくなってたけど今どうなんだろ。
ニブロールは7月のは演劇寄りらしいっす。今年はニブロール名義でなくメンバー個人でやってくのがメインなのかな?